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ドライフラワー

 
 
ラベンダーのドライフラワーが好きだ。
茎がまっすぐの花束も、うねりの入ったものも。
 
 
花束に鼻をうずめて、強く、でも、ふうわりとしたあの香りを嗅ぐたびに、
なんだか悲しくなる。
それはきっと、その姿が、自然ではないから。
 
意図的に、永遠に美しく生かされているように見えてしまうから。
 
 
でも、そんな悲しさも、わたしは好きだ。
 
 
綺麗な見た目は、いつか、綺麗ではなくなる。人間でも、ものでも。
その綺麗さは、時間と共に流れていく。
 
 
でも、見た目の綺麗さがうしなわれたものの一部は、また新しく、綺麗になる。
 
時間によって、外側の綺麗さが剥がされたあと、
ほんとうに綺麗なものは、美しさが残る。
 
本質的な美しさが残るから、見た目の綺麗さがうしなわれても、綺麗なままなのだと思う。
枯れても、無数のしわが刻まれても。
 
 
 
 
人間も、生まれてから70年経って、綺麗でなくなる人と、綺麗なままの人がいる。
それは、若い頃の見た目とは、あまり関係がないと、思う。
 
 
見た目が綺麗ではなくなったときに、
本質的な美しさが見えるのだとしたら。
 
わたしの腕の中にあるラベンダーたちの、ほんとうの美しさを、わたしはいつか見ることができるのだろうか?
 
 
 
わたしは、生け花をよく買うが、
花が枯れたあとも、しばらくのあいだは飾ることにしている。
 
枯れた姿に美しさが光る花が、美しい花だと思うから。
 
 
 
でも、このドライフラワーは、枯れることができない。
綺麗なひとが、泣いているみたいだ。ずうっと、きれいなままで。




 
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