Interview / what is art for you

Vol.1「アートは、存在証明。」Q&A

深町: 作品をつくるモチベーションはなんですか?
 
不安・恐怖、孤独です。
 
僕の生活に憧れる、とよく言われます。
夢を追いかけてるキラキラしたイメージがあるのかなぁ。
 
でも実際は、天使が目の前にいて、わあーっと追いかけてるってイメージやなくて、後ろから死神に追いかけられている感覚なんです。
怖くて怖くて仕方ないんです。立ち止まったら終わり。常に死神のカマが首にかかっているような感じ。
人前ではそれを出しませんが、眠れない夜も何度もあります。
でも、心の中では自分で孤独の道を選んでいるんです。
安心・安全・安定におさまってしまうのが不安なんちゃいますかねぇ。
 
 
 
深町: それは、どんな不安ですか?
 
不安のなかには、世間一般の不安もあります。
経済的なこと、生活のこと、老後のこと。僕なんかでも考えへんわけではない。
ただ、それに対する解決方法や、不安との向き合い方が人とは違うのかな。
それが作品制作で。僕にとっては、作品の中にしか答えはないんです。
作品がうまくいってへんかったら、他の方法で解決したとしても、満足も納得もいかない。
 
 








深町:  「怒り」はありますか?

ありません。不平不満は人並みにはあるかも。
怒りって、もっと心の底から湧き上がるものだと思ってて。
もしそういうものがあるとしたら、行動で示せないとダメかなって。

社会のこと、政治のこと、環境のこと。それに対して、口で「ああすべき」「こうすべき」、
それって結局、誰かのいったことを真似しているだけで。
自分で行動できていない限り、怒りとは呼べないんじゃないかな。
それでいうと、そこまでできてることはないかなあ。


自分が変わらないと社会も世界も変わらないと思ってます。
自分がどう変わったら、社会や政治、環境や教育が良くなるか、それを考えて今自分にできることをやってます。







深町: 将太さんが、よろこびを感じる時はどんなときですか?

小さな友達(子ども)と遊ぶこと!即答です。



深町: それは、どうしてですか?

子どもと遊んでいるときって、作品制作と似た感覚があるんです。
静と動ってありますよね。
作品を作っているときは「静」のクリエイティビティ、子供と遊んでいるときは「動」のクリエイティビティが働いている感覚。


子どもは、待ったなし、だし、すごいスピードで飽きる。
どうやったら楽しませることができるか、どうしたらこの子の良さを引き出せるか。
それを考えたり体で表現すること。難しいんですけど、めちゃくちゃ楽しいです。
遊んでいるときは、常に新しいものを作り出す、提供することを心がけています。

でも、子ども達からもらうものはそれ以上に大きいんです。アイデアとか、自由な表現とか。


「あ、人間って元々こんなんやったんや。」って。
あの感覚は、すごく勉強になります。これこれ!って思います。
子どもって、生命の塊だなと。まさに生(ナマ)の命(イノチ)に触れているっていう。
どんどん大きくなるにつれて、薄められたり、形を整えられたり。当たり障りのない形になっていくのか、されていくのかわからないですけど。
アーティストは、自分の中に、子供っぽさを残しておかないとだめなのかな、と思っています。子供っぽさというより、純粋さかなあ。無邪気さ、怖いもの知らず、無鉄砲、本能…。






深町: 川原さんにとって、アートとライフスタイルのバランスはどのようなものですか?

バランスはないと思っています。
世の中でいうバランスって、意味にもよりますが、
50:50とか、地に足がついている、とかだと思っていて。
僕にとっては、Art is Life, Life is Art、0:100。そういう意味でのバランスかな。
100さえキッチリできていたら、あとは、なんとかなるというか、なくてもいいというか。

アートが満足いかなかったら、ほかの全部も満足いかない。
作品がうまくいってなかったら、ご飯を食べてても、人と話してても、
ずっと作品のことを考えてて、他のことは上の空やし。
反対に、作品がうまくいっていたら、ご飯なんか食べられなくてもいい。
50:50だと、全部中途半端になると思っていて、それなら「バランスをとる」ことはしなくていいと思っています。







深町: 夢はありますか?

場づくりです。
「自分の好きなことをやって、人の役に立てる」というのは、幸せの定義として、
いろいろな人に共通すると思ってます。
でも、これができている人って少ないな、と感じてます。

家族のためにとか、義務や責任で仕事をしているとか、
好きなことをしているけれどあんまり人の役に立てていないとか。
どっちかやなくて、両方ができる「場」を作りたいなと思っています。
自然や自給自足、遊び、教育、知識の共有を含めたような、現実での場づくり。

僕はWWOOFしたり、そこで出会った人のところを転々したりして、
6年半くらい、海外で生活していたんですね。
いろんなコミュニティを回って、なんとなく、
「この場の雰囲気がいいなぁ」「こういう場を作りたいなぁ」って感覚があって。
今まで経験したコミュニティの、いいとこ取りをしつつ、理想の「場」をつくりたいなと思ってます。







深町: ムーミンの世界観がお好きとのことですが、お気に入りのエピソードを教えてください。

「新しい村づくりというのは、自由な人間の集まりだよ。誰もやろうとしないような、冒険的で、ちょっぴり不気味なことをやろうとする人間の集まりなんだ。」
(『ムーミンパパの思い出』p182より)

この、新しい村、というのが、僕が考えているような「場」と近いのかな、と思います。
僕、ムーミンのどの話も好きなんですけど、読んでいると、ムーミンパパと自分がすごく被るんです。
冒険家で、孤独な幼少期があって、理想を追い求めていて、家族がいて幸せに暮らしているけれど、
自分の中にふつふつとした抑えきれない冒険心があって。







深町: 絵画を通して、伝えたいことはなんですか?

直接的な答えにはならないかもしれませんが、絵を描くときに、大切にしていることが3つあります。
1つは、未来に遺す価値があるか。2つめは、自分にしかできないことか。3つめは、飽きずに続けられるか。

僕は、シリーズで描くことが多いです。
遺す価値があるかどうかについて、はっきりとした基準はないんですが、
このシリーズを今後もずっと描き続けたいかな、とか、
これ他の人ならもっと上手に描けるんちゃうかな?そしたら自分がやる必要ないよなとか。
そういうことを考えています。






深町: 川原さんにとって、アートとはなんですか?

存在証明、自己表現、夢中になれるもの、中毒…
海外にいた時は、「Art is visualizing one’s philosophy」(アートとは、その人の哲学を可視化したものである)
つまり、哲学を表現したものである。って伝えてました。







深町: 芸術のどのようなところに魅力を感じますか?

新しいものを生み出す、驚き。
キャンバスのうえでは、自分が絶対的存在で、何をしてもいい。







深町:  「芸術ってよく分からない」という人に、どう接しますか?

芸術を鑑賞する「消費者」と、生産者であるアーティストの間を埋めるために、
個人的に、美術史の概要や、有名なアーティストの名言を伝えたりしてます。
それで少しでも「消費者」が「創造的消費者」になってくれたらいいなと。
「消費のクリエイティビティ」を育てないといけないなと思っています。


深町:  「創造的消費者」とは、どういうことですか?

消費者って、受身的で、「買わされている」みたいなイメージがあると思っていて。
広告とか、流行とか。

そうじゃなくて、「自分で、選んで、買う」。
自分で選ぶときって、自分の価値観や基準がないと、ちゃんと選べないと思うんです。
そこに、気づいてもらいたいなって。

アートは、自分自身の基準や、ものさしのひとつだと思ってて。
自分の価値観を知るという意味で、アートの感覚を持ってもらいたいなと思います。
そうすれば世界は今までと違って見えるし、もっと奥行きのある豊かな生き方になると思っています。







あとがき





わたしは、どんな人間なのだろう?

この間、地学の研究をしている友達が、星は死ぬんだよ、と言っていた。
地球も死ぬの?と聞いたら、そうだよ、と言っていた。

わたしは、いつか、死ぬのだ。
そんなこと、わかりきったことだ。
幾度となく、葬式というものを経験して、訃報という文字を目にしてきた。

飼っていたハムスターや、おたまじゃくしや、魚が死んだように、
わたしがこの手で、幾度となく蚊を殺したように、
わたしも死ぬのだ。
地球も、同じように。


命が尽きて、わたしを知っている人の命も全部尽きて、
わたしの作品も朽ちて、
朽ちなかったとしても、いつか地球が死ぬのなら、死ぬのだ。
作品が朽ちるのなら、わたしの魂も一緒に死ぬのだ。きっと。


仮に、誰かがわたしの作品を持って、ほかの星で暮らすことを繰り返したとしても、ほかの星も死ぬのだ。
あれ、ブラックホールは、宇宙は死ぬのかな?
わからない。
でも、とにもかくにも、わたしは、確実に、死ぬのだ。



そんなことを考えていると、わたしがいま、わたしを未来に遺そうとすることに、なんの意味があるのか、
それは大切なことなのか、分からなくなる。
とんでもなく浅はかなことのようにも思える。


自分のことをよく知らないのに、よく知らない自分を遺そうとすることに、なんの価値があるのか。
いま、わたしがするべきは、自分をもっと知ることなんじゃないか、と。





川原さんは言っていた。
「僕は、自分との会話が、ふつうの人よりも、圧倒的に多いです」
言い切っていた。

わたしも、川原さんの話を聞いて、目を見て、そうだ、と思った。



高知県の山奥のそのまた山の上。
仕切りのない、木造の広々とした空間に、彼は住んでいる。
アトリエ兼自宅。キャンバスの真横には、白いベッドがある。

そこは、もともと、牛舎だったそうだ。
誰にも、なににも、入り込む隙のない、彼だけの空間。
来た人は、染まることしかできない、彼の空間で、彼はいつも、話している。彼自身と。

その空間は、たまらなく、居心地がいい。
家全体が、彼の空気をまとっている。


そんな川原さんも、きっと、自分のことを、わかりきってはいない。
だから、彼は絶えず、作品制作を通じて自分と話し続ける、アーティストなのだ。






わたしも、ふつうの人よりはずっと、自分と話してきた、と思っていた。
これは誰にも言ったことがないのだけれど、わたしの中には2人の人間がいる。

それぞれ名前や性格があって、2人が話しているのを、わたしはただ聞いて、そして体を動かす。
要するに「わたし」は3人いるということで、わたしは2人の人間の話に耳を傾けて生きてきた。
だから、そう思っていた。ふつうより、自分のことをわかっている、と。



でも、川原さんの目を見て、話を聞いて、
わたしはほんとうに自分と真摯に向き合い、耳を傾けて来たのだろうか、と、
いや、そうではないなと、彼を目の前にして思った。


わたしはまだ、わたしのことを全然、知らないのだ。
そして、あまり知ろうともしていなかった。


わたしは、わたしを遺そうとするよりも先に、わたしを知る必要があるのだ。
よくわからない自分を遺して、なにが遺るというのだろうか。



彼の話を、もっと聞きたい、と思った。
彼と話せば、わたしのことが、すこしわかる気がした。
また、桜の季節に、会いにいこうと思う。
高知県の、山の上に。
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